2026.9.30blog
トミソー52年振りの新社屋移物語 〜その二〜
#社長ブログ
前回に続き社屋移転のお話を書いていきます。
前回は令和4年の「キッカケ」のエピソードを書きました。
今回はその翌年、令和5年の出来事を書きます。
〜全社員が新社屋計画に関わる〜
さて、移転先の場所が決まり、社内でプランニングが始まります。
当社はご存知の通り建築の設計・施工の会社です。社内の設計スタッフやデザイナーなどの少人数で
チームを編成して根を詰めて取り組めば2〜3ヶ月で基本プランと設計は完成するでしょう。
しかし、私は全社員の参画意識を高めて「皆で創った新社屋」にしたいと考えました。
設計、デザイナーはもちろん図面やプランに関わりますが、総務、経理、採用担当、現場監督、営業、不動産担当、営業事務、
職種関係なく全員が何かの計画に関わるようにチームを分けて進めました。
全体設計・デザインチーム
お客様おもてなしを考えるチーム
社員ホスピタリティを考えるチーム
ネット・電話などのインフラを考えるチーム
倉庫や収納・スタッフルームを考えるチーム
引越しの段取りチーム
などです。
チームは出来るだけ部門横断とし、普段の業務ではあまり関わらないメンバーをあえてくっ付ける様に編成しました。
この時期は各所でミーティングが開かれていて、日を追うごとにどんどんと内容が固まって行く。
みんなで考えたものが絵になって行く行程は楽しかったです。
ただし関わる人数が多ければ多いほど決まるのに時間はかかります。
この頃からロシア・ウクライナ紛争の影響で資材や物価の値上りが始まりました。
少しでも早く建てた方が安くなるのは分かっていましたが、せっかく社員の皆が楽しそうに考えている。
ワクワクと楽しみにしている新社屋。
そして52年振りのトミソーにとっての大事業です。
ケチケチは言いたくない。
納得のいくまで時間を掛けてやろうと決めました。
(最後には他の理由もあり、とんでもない金額になるのですが…)
結果的にはあらかたのプランが出来上がるまでに8ヶ月以上がかかりました。
時間はかかりましたが、本当に皆の意見が入った良い社屋になったと感じています。
〜皆で決めたMVVを体現する社屋〜
話が少しスライドしますが、
新社屋の設計に関して大切な事なので少し書きます。
令和6年に設立70周年を迎えるにあたりトミソーのMVV(ミッション・ビジョン・バリュー)を社員全員で考えよう!と令和4年に決めました。
社長に就任した翌年に、私が考えて創った企業理念があります。
企業理念
我々トミソーは
最高の技術と心を持って
お客様の夢の実現と
従業員の幸福を追求すると共に
地域社会の未来に価値ある物を創造し続けます。
その頃はなんて高邁なんだろう。と尻込みしていましたが、今は着実にこの方向に向かっている事を実感しています。
大きな目標を立てるのは良い事です。
そして、それをもう少し因数分解して、内外に発信するためのMVVを考えたいと思いました。
100周年に向けて、我々はどうあるべきか?30年後のトミソーはどんな姿なのか?
私は80歳のお爺ちゃんなので引退してるでしょうけど、
未来のトミソーを創っていく若手社員のために考えることにしました。。
毎月開催される全体会議の後の1時間をその話し合いの時間に当てまして、約一年かけて全社員で話し合い、決めました。
使命(mission)
唯一無二の社会貢献企業になる
理想(vision)
一人一人が最大限に力を発揮出来る風土を創る
価値(value)
富山の未来の幸せを創造する
サッと書きましたが、結構大変でした。
コンサルさんなどに入ってもらわずに私がモデレーターとなって進めました。他社の人が入ると自分達で創ったと思えないのでは?と感じたからです。
毎月毎月、どうやったら対話が進むか?参画意識が醸成されるか?考えながら取り組みましたが、私はその道のプロではありません。
なかなかうまく進められませんでしたね。
苦しみながらも力を合わせて決めました。
社員全員が完全に腹落ちしたMVVではないかもしれません。
しかし「自分達で決めた」事には変わりありません。
決めた事はやっていこう!
この気構えが大事です。
これを始めた頃は新社屋建築なんて考えてもいませんでした。
このMVVプロジェクトの進行中に社屋移転の話が持ち上がり、土地探しなどを進めました。
MVV制定のタイミングでの社屋移転とは、未来からの引き寄せだと感じます。
新しい土地でこのMVVを体現する社屋を創る!と決めました。
そのMVVの新社屋への体現のさせ方ですが、
これは私からチームに投げた要望があります。
使命(mission)
唯一無二の社会貢献企業になる
・地域の人に使ってもらえるレンタルスタジオを併設する。
・マルシェを開催できる中庭を創る。
・木造在来軸組工法に拘る(日本海側唯一の大きさ)
など。
理想(vision)
一人一人が最大限に力を発揮出来る風土を創る
・社長室を作らない。エンド席(偉い人席)も作らない。年長者も新人も同じ大きな円のオフィスで仕事をする。
・全員が同じフロアで働く。
・ドアで仕切らない。(一階はトイレと収納以外に内部ドアは作らない)
・お客様エントランスから社員が働く様子が見える
・中庭に面して窓を沢山つくる。
・社屋のどこからでも中庭や隣の公園の緑を感じる事ができる。
など。
こんな感じで要望を伝えて、プランを進めてもらいました。
価値(value)
富山の未来の幸せを創造する
これは私達の心意気を体現するために
富山を護る大屋根(立山連峰)をイメージした外観をリクエストしました。
時系列としてはかなり後ですが、
この施設名を「La Roof」としました。
フランス語の女性冠詞La (大いなる・母なる と言う意味)と
英語のRoof(屋根)を繋げた造語で、
「大いなる屋根」と言う意味です。
正にここで働く我々が富山の未来を護り、そして創って行く!
と言う心意気の体現です。
〜難航する構造計算〜
建物の大枠の形が決まったころから、実質的な構造計画に進みます。
今回は我々が得意とする木造の在来軸組工法にて社屋を建てようと思いました。
古来から日本に伝わる、土台・柱・梁を使った工法です。
今でも日本の木造住宅の殆どはこの工法を用いてます。
鉄骨や重量木骨なども考えましたが、やっぱり見慣れた尺寸の柱や梁の方が好きです。
古いお寺や神社では心が落ち着きますよね。
日本古来の建築手法や尺寸モジュールは日本人のDNAに深く刻まれている心落ち着く記憶なのかもしれません。
いつもお世話になっている富山のプレカット屋さんに聞いたところ、
大手の木造工法の金物を企画・製造販売をしている会社を紹介され、その中に構造計算の部門があると聞きました。
日本のトップクラスの構造の専門家と聞き、その会社に構造計算の相談をしました。
私達の新社屋は中庭を囲むように「へ」の字の設計計画をしています。
建物の形を直角のL型よりも、角度が広いへの字型にする事で緩やかにつながる内部空間を目指しました。
また中庭に面する部分には窓を並べて開放感を出します。
への字と連立する窓。この二つの設計ポイントが私にとっては重要でした。
構造計算は専用のソフトに図面を入力して耐震強度に必要な柱や壁の量を割り出します。
への字の図面入力はなかなか大変との事で、最初に簡易計算のためにへの字をL型に変更した図面で入力したところ。
窓をズラッと並べても耐震強度が担保される。と計算結果が出ました。
担当者から
「在来軸組工法で大丈夫!いけます!」
と言われ、この方々にお願いする事にしました。
木造在来軸組工法の耐震には壁の量が重要です。壁が多ければ多いほど地震に強い建物になります。
正直なところこの窓の量は厳しいのでは?と思ってましたから、そう聞いた時には心の中でガッツポーズしていました。
いや、実際にガッツポーズをしました。
そして、実際のへの字の図面の入力を進めてもらいます。
そんな簡単な事ではないとの事で多少の時間がかかるのは覚悟していました。
2ヶ月か3ヶ月か、どれくらいだったかは忘れましたが、
待ちに待った「への字」の構造図面が我々の手元に届きます。
絶句しました。
ズラっと並んだ窓が9割方「壁」になってました。
「直角(L型)では大丈夫だったのに少し角度が変わったら計算結果では壁が必要とでまして…」
との事。
いや、ちょっと待って。
ちょっと角度が変わったからって、なんで壁の量がこんなに増えるの??
地震の揺れって直角に来ないでしょう??
と、食い下がりましたが「計算結果です」の一点張り。
その後、壁の位置をずらせないか?とか、9割ある壁をなんとか減らしてもう少し窓を増やせないか?
などたくさんのやりとりをしました。しかし、なかなか良い答えは来ずに計画は一進一退を繰り返します。
そんなやりとりがまた3ヶ月は続いたと記憶しています。
せっかく良い設計プランを皆で考えたのに話が全く前に進みません。ワクワクしていた社員達も「本当に実現できるの?」と少し訝しんできます。
敷地は一年以上更地のまま。
草も伸び放題。草刈り隊を結成して草を刈りました。
そんな感じであっという間に令和5年の年末が近づいてきます。
そのころには、三つの選択肢に絞られていました。
選択肢1
窓は残るが筋交(×の形の耐震補強)が窓全部に入る。
外から見たら窓の内面に×状の鉄の棒が並びます。まるで動物園の檻のよう。
ただ確かに景色は見えます。
選択肢2
への字をやめて直角(L型)にする。
選択肢3
鉄骨造にする。
私達がやりたかった事を何か一つ妥協する事になります。
担当者からは、日本海側(積雪地域)ではこの計画(大きさ、への字形状、窓の量)は不可能です。
とまで言われました。
最初は自信満々で「出来る!」って言ったじゃん…
でも日本トップクラスの会社の人が言うのなら仕方がないのか…
と、モヤモヤしながら諦めかけて…
令和5年の年末を迎える事になります。
トミソー52年振りの新社屋移転物語〜そのニ〜
令和5年編
はこれで終わります。
さて、次回は令和6年のお正月から話は始まります。
そう、あの記憶にも新しい能登沖地震のあった日です。
この大震災は私達の新社屋計画にどんな影響を及ぼしたのでしょうか・・・
お楽しみに。
前回は令和4年の「キッカケ」のエピソードを書きました。
今回はその翌年、令和5年の出来事を書きます。
〜全社員が新社屋計画に関わる〜
さて、移転先の場所が決まり、社内でプランニングが始まります。
当社はご存知の通り建築の設計・施工の会社です。社内の設計スタッフやデザイナーなどの少人数で
チームを編成して根を詰めて取り組めば2〜3ヶ月で基本プランと設計は完成するでしょう。
しかし、私は全社員の参画意識を高めて「皆で創った新社屋」にしたいと考えました。
設計、デザイナーはもちろん図面やプランに関わりますが、総務、経理、採用担当、現場監督、営業、不動産担当、営業事務、
職種関係なく全員が何かの計画に関わるようにチームを分けて進めました。
全体設計・デザインチーム
お客様おもてなしを考えるチーム
社員ホスピタリティを考えるチーム
ネット・電話などのインフラを考えるチーム
倉庫や収納・スタッフルームを考えるチーム
引越しの段取りチーム
などです。
チームは出来るだけ部門横断とし、普段の業務ではあまり関わらないメンバーをあえてくっ付ける様に編成しました。
この時期は各所でミーティングが開かれていて、日を追うごとにどんどんと内容が固まって行く。
みんなで考えたものが絵になって行く行程は楽しかったです。
ただし関わる人数が多ければ多いほど決まるのに時間はかかります。
この頃からロシア・ウクライナ紛争の影響で資材や物価の値上りが始まりました。
少しでも早く建てた方が安くなるのは分かっていましたが、せっかく社員の皆が楽しそうに考えている。
ワクワクと楽しみにしている新社屋。
そして52年振りのトミソーにとっての大事業です。
ケチケチは言いたくない。
納得のいくまで時間を掛けてやろうと決めました。
(最後には他の理由もあり、とんでもない金額になるのですが…)
結果的にはあらかたのプランが出来上がるまでに8ヶ月以上がかかりました。
時間はかかりましたが、本当に皆の意見が入った良い社屋になったと感じています。
〜皆で決めたMVVを体現する社屋〜
話が少しスライドしますが、
新社屋の設計に関して大切な事なので少し書きます。
令和6年に設立70周年を迎えるにあたりトミソーのMVV(ミッション・ビジョン・バリュー)を社員全員で考えよう!と令和4年に決めました。
社長に就任した翌年に、私が考えて創った企業理念があります。
企業理念
我々トミソーは
最高の技術と心を持って
お客様の夢の実現と
従業員の幸福を追求すると共に
地域社会の未来に価値ある物を創造し続けます。
その頃はなんて高邁なんだろう。と尻込みしていましたが、今は着実にこの方向に向かっている事を実感しています。
大きな目標を立てるのは良い事です。
そして、それをもう少し因数分解して、内外に発信するためのMVVを考えたいと思いました。
100周年に向けて、我々はどうあるべきか?30年後のトミソーはどんな姿なのか?
私は80歳のお爺ちゃんなので引退してるでしょうけど、
未来のトミソーを創っていく若手社員のために考えることにしました。。
毎月開催される全体会議の後の1時間をその話し合いの時間に当てまして、約一年かけて全社員で話し合い、決めました。
使命(mission)
唯一無二の社会貢献企業になる
理想(vision)
一人一人が最大限に力を発揮出来る風土を創る
価値(value)
富山の未来の幸せを創造する
サッと書きましたが、結構大変でした。
コンサルさんなどに入ってもらわずに私がモデレーターとなって進めました。他社の人が入ると自分達で創ったと思えないのでは?と感じたからです。
毎月毎月、どうやったら対話が進むか?参画意識が醸成されるか?考えながら取り組みましたが、私はその道のプロではありません。
なかなかうまく進められませんでしたね。
苦しみながらも力を合わせて決めました。
社員全員が完全に腹落ちしたMVVではないかもしれません。
しかし「自分達で決めた」事には変わりありません。
決めた事はやっていこう!
この気構えが大事です。
これを始めた頃は新社屋建築なんて考えてもいませんでした。
このMVVプロジェクトの進行中に社屋移転の話が持ち上がり、土地探しなどを進めました。
MVV制定のタイミングでの社屋移転とは、未来からの引き寄せだと感じます。
新しい土地でこのMVVを体現する社屋を創る!と決めました。
そのMVVの新社屋への体現のさせ方ですが、
これは私からチームに投げた要望があります。
使命(mission)
唯一無二の社会貢献企業になる
・地域の人に使ってもらえるレンタルスタジオを併設する。
・マルシェを開催できる中庭を創る。
・木造在来軸組工法に拘る(日本海側唯一の大きさ)
など。
理想(vision)
一人一人が最大限に力を発揮出来る風土を創る
・社長室を作らない。エンド席(偉い人席)も作らない。年長者も新人も同じ大きな円のオフィスで仕事をする。
・全員が同じフロアで働く。
・ドアで仕切らない。(一階はトイレと収納以外に内部ドアは作らない)
・お客様エントランスから社員が働く様子が見える
・中庭に面して窓を沢山つくる。
・社屋のどこからでも中庭や隣の公園の緑を感じる事ができる。
など。
こんな感じで要望を伝えて、プランを進めてもらいました。
価値(value)
富山の未来の幸せを創造する
これは私達の心意気を体現するために
富山を護る大屋根(立山連峰)をイメージした外観をリクエストしました。
時系列としてはかなり後ですが、
この施設名を「La Roof」としました。
フランス語の女性冠詞La (大いなる・母なる と言う意味)と
英語のRoof(屋根)を繋げた造語で、
「大いなる屋根」と言う意味です。
正にここで働く我々が富山の未来を護り、そして創って行く!
と言う心意気の体現です。
〜難航する構造計算〜
建物の大枠の形が決まったころから、実質的な構造計画に進みます。
今回は我々が得意とする木造の在来軸組工法にて社屋を建てようと思いました。
古来から日本に伝わる、土台・柱・梁を使った工法です。
今でも日本の木造住宅の殆どはこの工法を用いてます。
鉄骨や重量木骨なども考えましたが、やっぱり見慣れた尺寸の柱や梁の方が好きです。
古いお寺や神社では心が落ち着きますよね。
日本古来の建築手法や尺寸モジュールは日本人のDNAに深く刻まれている心落ち着く記憶なのかもしれません。
いつもお世話になっている富山のプレカット屋さんに聞いたところ、
大手の木造工法の金物を企画・製造販売をしている会社を紹介され、その中に構造計算の部門があると聞きました。
日本のトップクラスの構造の専門家と聞き、その会社に構造計算の相談をしました。
私達の新社屋は中庭を囲むように「へ」の字の設計計画をしています。
建物の形を直角のL型よりも、角度が広いへの字型にする事で緩やかにつながる内部空間を目指しました。
また中庭に面する部分には窓を並べて開放感を出します。
への字と連立する窓。この二つの設計ポイントが私にとっては重要でした。
構造計算は専用のソフトに図面を入力して耐震強度に必要な柱や壁の量を割り出します。
への字の図面入力はなかなか大変との事で、最初に簡易計算のためにへの字をL型に変更した図面で入力したところ。
窓をズラッと並べても耐震強度が担保される。と計算結果が出ました。
担当者から
「在来軸組工法で大丈夫!いけます!」
と言われ、この方々にお願いする事にしました。
木造在来軸組工法の耐震には壁の量が重要です。壁が多ければ多いほど地震に強い建物になります。
正直なところこの窓の量は厳しいのでは?と思ってましたから、そう聞いた時には心の中でガッツポーズしていました。
いや、実際にガッツポーズをしました。
そして、実際のへの字の図面の入力を進めてもらいます。
そんな簡単な事ではないとの事で多少の時間がかかるのは覚悟していました。
2ヶ月か3ヶ月か、どれくらいだったかは忘れましたが、
待ちに待った「への字」の構造図面が我々の手元に届きます。
絶句しました。
ズラっと並んだ窓が9割方「壁」になってました。
「直角(L型)では大丈夫だったのに少し角度が変わったら計算結果では壁が必要とでまして…」
との事。
いや、ちょっと待って。
ちょっと角度が変わったからって、なんで壁の量がこんなに増えるの??
地震の揺れって直角に来ないでしょう??
と、食い下がりましたが「計算結果です」の一点張り。
その後、壁の位置をずらせないか?とか、9割ある壁をなんとか減らしてもう少し窓を増やせないか?
などたくさんのやりとりをしました。しかし、なかなか良い答えは来ずに計画は一進一退を繰り返します。
そんなやりとりがまた3ヶ月は続いたと記憶しています。
せっかく良い設計プランを皆で考えたのに話が全く前に進みません。ワクワクしていた社員達も「本当に実現できるの?」と少し訝しんできます。
敷地は一年以上更地のまま。
草も伸び放題。草刈り隊を結成して草を刈りました。
そんな感じであっという間に令和5年の年末が近づいてきます。
そのころには、三つの選択肢に絞られていました。
選択肢1
窓は残るが筋交(×の形の耐震補強)が窓全部に入る。
外から見たら窓の内面に×状の鉄の棒が並びます。まるで動物園の檻のよう。
ただ確かに景色は見えます。
選択肢2
への字をやめて直角(L型)にする。
選択肢3
鉄骨造にする。
私達がやりたかった事を何か一つ妥協する事になります。
担当者からは、日本海側(積雪地域)ではこの計画(大きさ、への字形状、窓の量)は不可能です。
とまで言われました。
最初は自信満々で「出来る!」って言ったじゃん…
でも日本トップクラスの会社の人が言うのなら仕方がないのか…
と、モヤモヤしながら諦めかけて…
令和5年の年末を迎える事になります。
トミソー52年振りの新社屋移転物語〜そのニ〜
令和5年編
はこれで終わります。
さて、次回は令和6年のお正月から話は始まります。
そう、あの記憶にも新しい能登沖地震のあった日です。
この大震災は私達の新社屋計画にどんな影響を及ぼしたのでしょうか・・・
お楽しみに。