2026.10.10blog
トミソー52年振りの社屋移転物語〜その三〜
#社長ブログ
前回に引き続き新社屋のストーリーを書きます。
三回目の今回は令和6年の元旦から話は始まります。
〜木造に拘るきっかけになった大震災〜
令和6年1月1日4時11分、能登沖地震が発生しました。
今思い起こしても大変な震災でした。
この震災に関しても沢山のエピソードや想いはありますが、今回のブログでは割愛します。
うちの社員に石川県七尾市に実家がある子が居ます。
彼女が帰省している時に地震が起きました。
幸いにも家族は全員無事。
しかし家の棟瓦がズレて雨漏りしている。そして水道が出なくて困っているとのこと。
1月5日の仕事初めの日。
現場監督4人にお願いして、彼女とその家族のために七尾まで走って貰いました。
前日まで道路状況の関係で一般車は七尾まで入れなかったと記憶しています。
雨漏り応急処置のためのブルーシートや垂木・ロープに加え、500mlペットボトル50ケースをハイエースに積み、ガタガタになった道を七尾まで向かって貰います。
到着して、皆で協力してズレた棟瓦の上にシートを張り、ロープや垂木で固定していきます。
トミソーの現場監督に混じり、彼女のお父さんも屋根に登って作業をしていたとか。
お水はご近所の方にも配って貰いました。
大人が力を合わせて雨漏りを防ぎ、家を守る事ができました。
この時は「良かったな」くらいの出来事でしたが、後ほどこれが大切な思いになります。
さて、私自身もこのあと仲間の経営者と能登の被災地支援に奔走する事になります。
令和6年1月21日。
仲間の経営者とハイエースで支援物資を七尾の小学校まで届けました。
天気も良いし時間もあるし和倉温泉を見てこようという話になりました。
報道などで全ての旅館の建物が被害を受けて営業できなくなっていると聞いていましたが、
実際に現地を見て驚きます。
建物自体が約1メートル地盤沈下している。
高い建物が傾いている。
増築したエキスパンジョンジョイントで真っ二つに割れて、その隙間から空が見えている。
ショッキングな光景でした。
復旧には10年以上かかると感じました。
脳裏に刻まれた忘れられない景色があります。
その真っ二つに割れた建物をただ茫然と眺めている大人達の傍ら。
良い天気の中、公園では子供達が縄跳びをして遊んでいました。
この街の大人は、この子供達に勇気や生きる力を与えているのだろうか?
とふと思いました。
狭い敷地に沢山の宿泊客を入れるために鉄筋コンクリート造や鉄骨造で、上に上に建物を伸ばしていった。
しかし有事の時に何もできずに情けない大人の背中を見せている。
本当にこれで良いのか?と感じました。
その帰り道。
能越道を走っていて目に入ってくる集落の家々。
その家々の屋根がブルーシートで真っ青です。
きっと集落の大人達が力を合わせて、皆んなの家の屋根にシートを掛けたのでしょう。
大人達が力を合わせて、自分達や仲間達の家族が住む家を守る。
その姿はきっと子供達に「カッコ良い大人」の姿を魅せているはず。
利益や効率を考えれば鉄骨やコンクリートも良いのでしょう。
しかし、「富山の幸せな未来を創る」というトミソーのvalue(創造価値)を体現する社屋は、
やっぱり日本の文化である木造在来軸組工法で建てるべきだ。
と改めて決心した日でした。
〜ニンゲンの力〜
日本のトップクラスの木造構造の会社から「木造では不可能です」と言われた新社屋計画。
能登での出来事があり、なんとしても木造で実現させる!と思いました。
そして富山で設計事務所を開設している一級建築士の友人に相談しました。
「柔軟に対応してくれる人を知ってるよ」と、
独立して2人で構造計算の仕事をしている富山出身の方を紹介して頂きました。
その方に今までの経緯、計算結果などを全てお見せして…返ってきた言葉が
「手で計算します。多分できますよ。」
との事でした。
コンピュータ計算入力だと、どうしてもX軸・Y軸に縛られるけど、
手計算でしたら大変ではあるけど柔軟に対応できるので大丈夫との事。
結果的に木造在来軸組工法での建築が実現します。
計算方法の変更の効果だけでなく、構造壁を二重にするなどのアイデアも頂きました。
人間の応用力や発想の転換は凄いと感心しました。
コンピュータや頭の良い人が出した「答え」に疑問を持ち、
一旦、自分で頭を使って考える事は新しいモノを生み出すには大事な事です。
この出来事もまたそんな示唆を与えてくれました。
〜日本初を実現した美しい構造〜
そんな経緯を経て、令和6年の初夏には構造の図面が出来上がりました。
その図面を見た瞬間「美しい」と魅入ってしまいます。
綺麗に並んだ梁か本当に美しいのです。
図面を見ただけで、素晴らしい建物になる事が想像できました。
余談ですが、私はレーシングカーや戦闘機が好きでして、
子供の頃からよくプラモデルを作っていました。
何勝もした速いレーシングカーはフォルムが美しいです。世界でも名機と言われる戦闘機もその形が美しい。
レースに勝つ、空中戦に勝つ。
機能を追求して設計された物はカタチが美しくなります。
強い構造の建築もやはり美しい。
当初は天井全面にボードを貼って構造は隠す予定だったのですが、
あまりにも構造が美しいので全面的にはボードを貼らず構造梁を現しにするデザインに変えました。
各方面の方々には、この変更で大変なご迷惑をおかけしましたが、
おかげ様で素晴らしい社屋になりました。
一度は「積雪地域では不可能です」と言われたこの社屋。
信念を持って諦めずに挑戦していけば、不可能をも可能にする事が出来る。
少しは子供達にカッコ良い大人の姿を魅せられたかな?
諦めなくて良かったと実感しています。
さて、やっとスタートラインに立てました。
これから確認申請や着工に向けて細かな準備を進めて行きます。
ここまで約一年、話が進まずにいた新社屋計画。
また社内ミーティングが再開され、ここから細かな部分も含めて図面を進めていく
はずでしたが・・・
また、なかなか話が進みません。
みんなが忙しくて新社屋に手が回らないのです。
この年、売り上げは10億円に達しようとしていました。
計画が始まった2年前から比べて25%の増加です。
当初はデザイン、設計、施工も皆んなで手分けしてやろう!と話をしていましたが、
みんな忙しくて、なかなか作業が進みません。
自社の事よりお客様優先です。
忙しいと言うのは嬉しい悩みですが
さて、どうしたものか。
また新たな課題が出てきました。
そんな感じで令和6年の年末を迎えようとしているところで
今回のブログは終わります。
今回も長いブログになりました。
さて、一筋縄ではいかない新社屋プロジェクト。
次回は令和7年のお話になります。
自分達では力が足りないのであれば、
仲間の力を借りればよい。
どんどんプロジェクトの輪が拡がっていきます。
次回もお楽しみに。
三回目の今回は令和6年の元旦から話は始まります。
〜木造に拘るきっかけになった大震災〜
令和6年1月1日4時11分、能登沖地震が発生しました。
今思い起こしても大変な震災でした。
この震災に関しても沢山のエピソードや想いはありますが、今回のブログでは割愛します。
うちの社員に石川県七尾市に実家がある子が居ます。
彼女が帰省している時に地震が起きました。
幸いにも家族は全員無事。
しかし家の棟瓦がズレて雨漏りしている。そして水道が出なくて困っているとのこと。
1月5日の仕事初めの日。
現場監督4人にお願いして、彼女とその家族のために七尾まで走って貰いました。
前日まで道路状況の関係で一般車は七尾まで入れなかったと記憶しています。
雨漏り応急処置のためのブルーシートや垂木・ロープに加え、500mlペットボトル50ケースをハイエースに積み、ガタガタになった道を七尾まで向かって貰います。
到着して、皆で協力してズレた棟瓦の上にシートを張り、ロープや垂木で固定していきます。
トミソーの現場監督に混じり、彼女のお父さんも屋根に登って作業をしていたとか。
お水はご近所の方にも配って貰いました。
大人が力を合わせて雨漏りを防ぎ、家を守る事ができました。
この時は「良かったな」くらいの出来事でしたが、後ほどこれが大切な思いになります。
さて、私自身もこのあと仲間の経営者と能登の被災地支援に奔走する事になります。
令和6年1月21日。
仲間の経営者とハイエースで支援物資を七尾の小学校まで届けました。
天気も良いし時間もあるし和倉温泉を見てこようという話になりました。
報道などで全ての旅館の建物が被害を受けて営業できなくなっていると聞いていましたが、
実際に現地を見て驚きます。
建物自体が約1メートル地盤沈下している。
高い建物が傾いている。
増築したエキスパンジョンジョイントで真っ二つに割れて、その隙間から空が見えている。
ショッキングな光景でした。
復旧には10年以上かかると感じました。
脳裏に刻まれた忘れられない景色があります。
その真っ二つに割れた建物をただ茫然と眺めている大人達の傍ら。
良い天気の中、公園では子供達が縄跳びをして遊んでいました。
この街の大人は、この子供達に勇気や生きる力を与えているのだろうか?
とふと思いました。
狭い敷地に沢山の宿泊客を入れるために鉄筋コンクリート造や鉄骨造で、上に上に建物を伸ばしていった。
しかし有事の時に何もできずに情けない大人の背中を見せている。
本当にこれで良いのか?と感じました。
その帰り道。
能越道を走っていて目に入ってくる集落の家々。
その家々の屋根がブルーシートで真っ青です。
きっと集落の大人達が力を合わせて、皆んなの家の屋根にシートを掛けたのでしょう。
大人達が力を合わせて、自分達や仲間達の家族が住む家を守る。
その姿はきっと子供達に「カッコ良い大人」の姿を魅せているはず。
利益や効率を考えれば鉄骨やコンクリートも良いのでしょう。
しかし、「富山の幸せな未来を創る」というトミソーのvalue(創造価値)を体現する社屋は、
やっぱり日本の文化である木造在来軸組工法で建てるべきだ。
と改めて決心した日でした。
〜ニンゲンの力〜
日本のトップクラスの木造構造の会社から「木造では不可能です」と言われた新社屋計画。
能登での出来事があり、なんとしても木造で実現させる!と思いました。
そして富山で設計事務所を開設している一級建築士の友人に相談しました。
「柔軟に対応してくれる人を知ってるよ」と、
独立して2人で構造計算の仕事をしている富山出身の方を紹介して頂きました。
その方に今までの経緯、計算結果などを全てお見せして…返ってきた言葉が
「手で計算します。多分できますよ。」
との事でした。
コンピュータ計算入力だと、どうしてもX軸・Y軸に縛られるけど、
手計算でしたら大変ではあるけど柔軟に対応できるので大丈夫との事。
結果的に木造在来軸組工法での建築が実現します。
計算方法の変更の効果だけでなく、構造壁を二重にするなどのアイデアも頂きました。
人間の応用力や発想の転換は凄いと感心しました。
コンピュータや頭の良い人が出した「答え」に疑問を持ち、
一旦、自分で頭を使って考える事は新しいモノを生み出すには大事な事です。
この出来事もまたそんな示唆を与えてくれました。
〜日本初を実現した美しい構造〜
そんな経緯を経て、令和6年の初夏には構造の図面が出来上がりました。
その図面を見た瞬間「美しい」と魅入ってしまいます。
綺麗に並んだ梁か本当に美しいのです。
図面を見ただけで、素晴らしい建物になる事が想像できました。
余談ですが、私はレーシングカーや戦闘機が好きでして、
子供の頃からよくプラモデルを作っていました。
何勝もした速いレーシングカーはフォルムが美しいです。世界でも名機と言われる戦闘機もその形が美しい。
レースに勝つ、空中戦に勝つ。
機能を追求して設計された物はカタチが美しくなります。
強い構造の建築もやはり美しい。
当初は天井全面にボードを貼って構造は隠す予定だったのですが、
あまりにも構造が美しいので全面的にはボードを貼らず構造梁を現しにするデザインに変えました。
各方面の方々には、この変更で大変なご迷惑をおかけしましたが、
おかげ様で素晴らしい社屋になりました。
一度は「積雪地域では不可能です」と言われたこの社屋。
信念を持って諦めずに挑戦していけば、不可能をも可能にする事が出来る。
少しは子供達にカッコ良い大人の姿を魅せられたかな?
諦めなくて良かったと実感しています。
さて、やっとスタートラインに立てました。
これから確認申請や着工に向けて細かな準備を進めて行きます。
ここまで約一年、話が進まずにいた新社屋計画。
また社内ミーティングが再開され、ここから細かな部分も含めて図面を進めていく
はずでしたが・・・
また、なかなか話が進みません。
みんなが忙しくて新社屋に手が回らないのです。
この年、売り上げは10億円に達しようとしていました。
計画が始まった2年前から比べて25%の増加です。
当初はデザイン、設計、施工も皆んなで手分けしてやろう!と話をしていましたが、
みんな忙しくて、なかなか作業が進みません。
自社の事よりお客様優先です。
忙しいと言うのは嬉しい悩みですが
さて、どうしたものか。
また新たな課題が出てきました。
そんな感じで令和6年の年末を迎えようとしているところで
今回のブログは終わります。
今回も長いブログになりました。
さて、一筋縄ではいかない新社屋プロジェクト。
次回は令和7年のお話になります。
自分達では力が足りないのであれば、
仲間の力を借りればよい。
どんどんプロジェクトの輪が拡がっていきます。
次回もお楽しみに。