2025.4.25blog
民族の歴史
#社長ブログ
先日、トミソーのマルシェ「トミシェ」を開催しました。
沢山の方に来ていただいて嬉しかったです。
出展頂いたお店もトミソーで手掛けさせて頂いた店舗のお客様。
住宅のOB様や店舗のOB様、アパートの入居者様にはチケットをお配りしていましたので
来場者の多くは当社と関わりのある方ばかり。
本当にご来場に感謝いたします。
インスタや他のきっかけでトミシェに来られて
初めてトミソーと接点を持って頂いた方もおられました。
ありがとうございます。
一昨年の餅つき大会に続き、大変幸せな時間を過ごさせて頂きました。
こういうイベントで当社の売上を伸ばすつもりは一切ありません。
もちろん出展頂いたお店の皆様にはちゃんと売り上げを確保頂きました。
お客様との関係性を良くしたい。
そういう思いでやっています。
経済合理性や効率化を考えると
こういうイベントは必要ないと判断されるのでしょう。
皆さんと楽しく過ごす時間を共有するための取組みです。
売り上げを考えていないイベントですから「無駄」と捉える人は多いでしょう。
日本人が昔から大切にしてきた「お祭り」みたいなものです。
お祭りは文化として根付いてきたもの。
日本人はなぜ、こういう非効率な事を大切にしてきたのでしょうね。
話は変わり、
江戸時代にあった「村八分」という制度に興味があります。
村民の中で、だれかが犯罪を犯したらその人を村八分とする。
当時は法律なんてありませんでしたから、基準は多分「道徳」だったのでしょう。
道を外れた行為は許さん。という事で、
村のはずれに住まわせて、お祭りなどの行事には参加させない「村八分」として扱う習わしです。
これだけ聞くと、いい話ではない様に思われますが、
私が凄いなと思う所はどんなに悪い奴でも「二分」残しているところです。
どんなに悪い奴でも同じ村に産まれた奴。追い出したりせずに「二分」だけは残すんです。
具体的には葬式と火事だけは村を挙げてお手伝いをしていたそうです。
こういう所が日本人らしいなと感じます。
「効率化や無駄な事」と「道徳」を天秤にかける事もせず
ちゃんと「人として正しい道」を自然に選択してきた民族の歴史があります。
お祭りもそういう歴史に裏付けされた日本民族の人と人の関わりの場だと思います。
大切にしていきます。
今回のイベントでトミソーが昨年から実施してきた
能登沖地震の被災地支援の紹介と支援の呼びかけを行いました。
「あんな辺境の人を救う事に金をかけるなら、
金沢に引っ越させてあの土地を捨てればいい」
という意見を耳にしました。
みんな言わないだけでそう思ってる大人も沢山居ると。
「避難」や「移住」はそこで生きてきた人々の文化と生活を
根こそぎ奪い取る事です。
人道として、日本人として進んでやるべき事ではないと私は考えます。
短期的にみて、効率も悪く経済合理性も全くない。
これは事実です。
でも、百年後の未来の子供達に
百年前の祖先は「効率化を優先して道徳を捨てた」という歴史を遺す事に繋がります。
我々大人たちはまだ見ぬ子供達のためにも
人の道を大切に生きたいものです。
沢山の方に来ていただいて嬉しかったです。
出展頂いたお店もトミソーで手掛けさせて頂いた店舗のお客様。
住宅のOB様や店舗のOB様、アパートの入居者様にはチケットをお配りしていましたので
来場者の多くは当社と関わりのある方ばかり。
本当にご来場に感謝いたします。
インスタや他のきっかけでトミシェに来られて
初めてトミソーと接点を持って頂いた方もおられました。
ありがとうございます。
一昨年の餅つき大会に続き、大変幸せな時間を過ごさせて頂きました。
こういうイベントで当社の売上を伸ばすつもりは一切ありません。
もちろん出展頂いたお店の皆様にはちゃんと売り上げを確保頂きました。
お客様との関係性を良くしたい。
そういう思いでやっています。
経済合理性や効率化を考えると
こういうイベントは必要ないと判断されるのでしょう。
皆さんと楽しく過ごす時間を共有するための取組みです。
売り上げを考えていないイベントですから「無駄」と捉える人は多いでしょう。
日本人が昔から大切にしてきた「お祭り」みたいなものです。
お祭りは文化として根付いてきたもの。
日本人はなぜ、こういう非効率な事を大切にしてきたのでしょうね。
話は変わり、
江戸時代にあった「村八分」という制度に興味があります。
村民の中で、だれかが犯罪を犯したらその人を村八分とする。
当時は法律なんてありませんでしたから、基準は多分「道徳」だったのでしょう。
道を外れた行為は許さん。という事で、
村のはずれに住まわせて、お祭りなどの行事には参加させない「村八分」として扱う習わしです。
これだけ聞くと、いい話ではない様に思われますが、
私が凄いなと思う所はどんなに悪い奴でも「二分」残しているところです。
どんなに悪い奴でも同じ村に産まれた奴。追い出したりせずに「二分」だけは残すんです。
具体的には葬式と火事だけは村を挙げてお手伝いをしていたそうです。
こういう所が日本人らしいなと感じます。
「効率化や無駄な事」と「道徳」を天秤にかける事もせず
ちゃんと「人として正しい道」を自然に選択してきた民族の歴史があります。
お祭りもそういう歴史に裏付けされた日本民族の人と人の関わりの場だと思います。
大切にしていきます。
今回のイベントでトミソーが昨年から実施してきた
能登沖地震の被災地支援の紹介と支援の呼びかけを行いました。
「あんな辺境の人を救う事に金をかけるなら、
金沢に引っ越させてあの土地を捨てればいい」
という意見を耳にしました。
みんな言わないだけでそう思ってる大人も沢山居ると。
「避難」や「移住」はそこで生きてきた人々の文化と生活を
根こそぎ奪い取る事です。
人道として、日本人として進んでやるべき事ではないと私は考えます。
短期的にみて、効率も悪く経済合理性も全くない。
これは事実です。
でも、百年後の未来の子供達に
百年前の祖先は「効率化を優先して道徳を捨てた」という歴史を遺す事に繋がります。
我々大人たちはまだ見ぬ子供達のためにも
人の道を大切に生きたいものです。